季節の写真館 Vol,123
2009年2月5日
立春を迎え、季節は冬から早春へ! |
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2月3日は「節分」、そして4日は「立春」で、文字通り、季節は冬と春の境目です。 今日は早春の豊かな自然の幕開けを告げるセツブンソウ(節分草)を求めて、市内青垣町の江古花園を訪ねてみました。 セツブンソウは、キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草で、高さ10cmほど。 寒い冬からようやく顔を出した大変可憐な花でした。 |
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町内の保育園、こども園の節分の行事、豆まきをの様子を観てみました。 昔から「鬼は外、福は内」の掛け声で、伝統的な行事が各地で引き継がれています。 豆をまくことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあり、寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式を起源とした行事であり、室町時代の書物の記載事項から少なくとも日本では室町時代以降の風習となっているということです。 こういった行事が脈々と時代を越えて続いているのは、冬から春へと季節が変わっていくことの喜びを表わしているようです。 |
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この日、ムラの農産加工場でも、朝早くから巻き寿司を作る作業が進められていました。 節分に巻き寿司を巻いて、食べる習慣は福を巻き込むことから「巻き寿司」と言い、 縁を切らないよう包丁を入れずに丸ごと1本食べる慣習もあるようです。 ここで作られた巻き寿司は、保育園や福祉施設に配達され、それぞれのところで節分のお祝いが行われました。 |
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この日、町内の折杉神社で恒例の「粥(かゆ)占い」の行事が行われました。 まず、折杉神社の由緒について触れておきます。 文献では、「正和5年(1316年)−第95代花園天皇の御代、鎌倉幕府の北条高時執権の時代の創立で、明治6年村社に列せられる」とあります。 粥占いは、「粥占神事(かゆうらのしんじ)と称し、神慮に問いて年の豊凶を占う行事。 |
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境内の御神木に火が入れられます。 大きな大きな火が邪気を払い、無病息災を願い、この火ついた焚き木や炭で占いが行われるのです。 当日はあいにくの雨の中でしたが、境内には氏子が集まり、厳かに祭事が進みます。 |
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この釜の中には、お米と約20センチの長さの竹筒13本が入れられ、ゴトゴト煮られます。 13本の竹筒は13種類の作物に見立てられているのです。 |
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真っ赤に焼けた炭の上に約5センチ四方の樫の「駒」12個が焼かれます。 12個の駒は12ヶ月の月に見立てられています。 |
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駒の焼け具合から今年の月々の天候が占われます。 この結果によると、田植え時期には雨が降り、刈り入れ時には晴れるとかで、農作業にはとてもよい結果が出ていました。 |
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粥占いは、ぐつぐつと煮えた粥の中から慎重に竹筒を取り上げては、台の上で割り、中をあらため、筒のなかに入った米粒の量で豊凶が判断されるのです。 結果は、早稲は「中の上」、晩稲は「下の下」、大麦「下」、小麦「上上」、大豆「上上」、小豆「下」、柿「上上」、栗「上上」、ぶどう「上」、トマト「上」、なす「上上」、「野菜「上上」というものでした。 昔は、縁起を担ぎ、大阪の米相場師から問い合わせもあったと聞きました。 丹波いちじまふぁーむのぶどうも「上」ということのようです。 |
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この時期の四季の「箱庭農園」をご覧下さい。 四季を通じて、85歳のおばあさんが管理し、今の時期は農閑期です。 でも、来る春に向けて確かな芽吹きがありました。 |
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小麦が青々と育っていました。 昔は、この時期、それぞれの農家が小麦を栽培していましたが、今はほとんど見かけなくなりました。 この寒い時期にじっくり生育し、6月に収穫します。 自家製味噌やお醤油の原料となるのです。 |
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タマネギもこの時期、実にか細く、弱々しいように見えますが、しっかりと育っています。 寒い冬の間に、土中に深く根を張るのです。 5月になると土から溢れんばかりのタマネギに育ち、収穫を迎えます。 |
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丹波いちじまふぁーむの農園のぶどう園の様子ですが、農閑期のこの時期も大切な作業があります。 冬の間に伸び放題になった枝を2芽を残して短く切り落とす作業です。 ハサミを入れると、樹木が生きていることがよくわかります。 ぶどうも寒い冬をじっと耐え、やがて来る芽吹きに備えているのです。 |
丹波市市島町鴨庄 より
(2009.2.5)
自然の中での安らぎ<<HOLIDAY IN NATURE>>と食」の安全性を現場で実践する・・・・ |